他人の目が気になることは他人の人生を生きること

今日の奇妙な話は、

 

1どうして働くのか?

2他人の目が気になる

 

についてです。



娘へ

 

1.どうして人は働くのだろう?

 

これに対する答えを

明確に言えないのがパパです(/ω\)

 

というのも、ピラミッド形式の社会で

しかも階級が底辺に位置しているから、

正しいと思われる答えを持ち合わせていないから。

(他人の目、他人と同じ基準かな)

 

パパは小学生高学年で人と同じことをし、

形式的にでも何でも同じように行動し、

目指し、育むという生き方は嫌いだった。

 

自ずと、将来、同じ時間に満員電車に乗って

会社へいく生活をすることを

想像すると吐き気に襲われた。

 

公務員、それこそ高卒資格で公務員に

なることが最底辺の基準なんて、

まったく理解できなかった。

 

安心、安定のために勉強し大学に行く、

その大切さを両親や親戚、先生等、

周囲の大人に言われて、

何を言っているのかを理解できても、

心はその答えに納得し得ない。

 

何故、好きな時に好きなように働いて、

自分自身が納得できる生活水準で収入を得て

生きていく生活は誰も認めないのかわからなかった。

 

将来はマイホーム購入、

車購入、年に数回の旅行、

出来ればそれぞれに湯水のように

使うことが出来る高収入であること。

 

だから、人から注目されて、

見ている人の反応が

ダイレクトに返ってくる舞台役者になりたくて、

役者として多く稼いでやる。

そう考えたんだよね。

 

むろん、安定思考から全てを反対されて、

結局逆らうことが出来ず、周囲と同じになりました。

同じならまだいい。

努力しない人間は周囲と同化したら落ちぶれてしまう。

 

だって、他人との違いを生み出すには、

没個性を前提とした安心安定の世界では、

非常に厳しい。

 

まず学力勝負、

所属した世界での競争に勝つ、

さらに新しい環境になればまたすぐ勝負。

 

全てが競争社会。

疲れるのが殆どだと思う。

 

パパのように考えている子どもなんて、

埋没しちゃうんだ。

上手に立ち回ることはできるようになるけれど、

勝ち取った舞台は、

常に無観客か10名以下の観客の

前に立つ役者になれるだけ。

 

それでも、その役者を演じ切れば、

何とか生活をしていくことはできる。

 

働くことの意味を答えることができる人の中で

さらに少数の人は、競争に勝っているでしょう。

 

競争に勝っている、

勝ち抜くために毎日を

生き馬の目を抜くように生きれる人は、

きっと、どうして働くのかなんて考えない人、

そのことを見つめない人なんだよね。

 

まっすぐに、強かに

競争社会を邁進しているんだよね。

 

だからね、どうして働くのかについては

パパは語れないな。

 

どうしても聞きたいのなら、

ディズニーシーに行くといいよ。

ウミガメのクラッシュなら

面白くステキな答えを

話してくれるかもしれないからね。



2.他人の目が気なる

 

お姉ちゃんは、

どうしても他人の目が気になるとのこと。

人からどう思われているかを気にします。

 

その程度は重症ではないですが、

明らかに、他人の目を気にするので

どうしても思い切ってできない。

近くに知人がいると出来ない。

外食の際には、周囲に人がいると

気になって、落ち着いて食事ができない。

 

若い頃って、思春期の頃などは特に、

他人の目を気にすることが多い。

 

友だちとつるむことが嫌いだったパパも、

他人の目が気にならないわけじゃない。

けれど、自分は自分だと考えて動くことをし始めたら、

本当につるまなくても、

当たり前に生きることが出来るようになった。

 

他人の目を気にすると

他人の意見にしたがって

生きていくように感じはしないかな。

 

パパはどうしてもそう感じた。

だからどうして他人の人生を生きるんだ???

と疑問に思う。

 

他人の目が気になるのもわかる。

けれど他人の目を気にして、

他人にどう思われて入れば、

嫌われずに、嫌がられずに、

間違いを指摘されずに、

仲間外れにされずに

生きていくことができると考えることは、

他人の人生を生きていることだと

思わないのだろうか。

 

他人が書いたシナリオに基づいて

生きる必要なんてない。

 

嫌われる勇気を少し持ち出そうよ。

そのうちに、自分と同類の人が

引き寄せられてくるからさ。

 

もちろん、その人たちとのコミュニケーションを

どのようにとるのかは、自分次第。

 

他人に合わせすぎるコミュニケーションは

他人の人生を歩くに等しいけれど、

他人に合わせることもあるけれど、

自分にこだわって表現していきながらする

他人とのコミュニケーションを覚えようね。

 

難しいことはさほどない。

動いて、ぶつかって、どうしてと考えて、

動いての繰り返しで生きていくものだから。

 

その方が絶対自分のシナリオになっている人生だよ。

 

3.パパの仕事でよくある大変な問題

 

少しパパの仕事についてお話しをしてみよう。

 

パパの仕事は、

お客様の荷物を運ぶ、届ける仕事だ。

運送業だね。

流通に携わっているので、

みんなの生活を支えているという

教科書的な答えを大切にしている。

 

間違えずに、正確にお客様のところに

届けることが絶対の仕事だ。

 

作業は実に簡単で、

出来て当たり前の仕事だから、

簡単そうでいて実は難しい仕事。

流通させることを止めてはいけないからね。

 

人々の生活の土台をしっかりと支える仕事

をしていると自負している。

 

そう考えて仕事をしないといけないし、

やっていられないと考えることもできるかな。

 

もし、品物を届けることができないとしたら

どんなケースがあるかな?

 

・納期が間に合わない。

 

 これには、様々な要因があるけどね、

 うーん商品自体の生産が遅れている。

 注文が多く、流通ラインに乗せることができない。

 交通渋滞、交通事故、

 ドライバーの体調不良もあるね(笑)。

 

・誤配達。

 

・ワザと届けないもある。

 

 あってはならないことであり

 犯罪とも言えるけれど。

 

 忙しすぎて配達しきれない状況が

 この事態を作ってしまうことがある。

  

 どうして届けないのか、配達しないのか。

 個人の判断で隠匿してしまう。

 捨ててしまう。

 

 実はここのところに人の目が気になるということが

 多く関わっていることがある。

 

どんな職場でも陰口は叩かれる。

仕事ができないとね。

 

この程度しかできないのに。

とこれくらい出来なかったら

居場所ないだろなんて言われる。

 

でね、年齢が若ければ若いほど、

配達ができないこと、

仕事ができないことを人に言えない。

 

殆どの人が恥ずかしいらしい。

経験値も高くなったベテランが言うには

恥ずかしいかもしれないけど、

若い人は言っても恥ずかしいことではない。

言わないことが格好悪いし、

仕事の流れが止まり、みんなに迷惑がかかる、

お客様は被害者だ。

見栄っ張りのようなプライドは

小さいから捨てようよ。

これが他人の目を気にして生きてきた人にはほぼ出来ない、

もしくは、届けることが出来ない、

仕事ができない人になってしまう可能性が高い。

自分を良く見せる必要なんてないし、

期日通りに荷物をお客様の手元に届けるのが

仕事である以上、それは要らないよ。

 

届けることが出来なかった荷物があれば伝えよう。

そして小言を言われよう、叱られよう。

 

それだけだ。

あとは上司が適切に処理するものだから。

 

周囲でフォローして残ったものを配達はするよ。

怒られない自分をとらずに、

怒られる自分を選択しよう。

他人の目を気にしないようにして、

しかもいい意味で他人の目を利用しよう。

 

能力が低いことを知られるのは

一時のマイナスで、

その後の成長で必ず大きく取り戻せるものです。

 

上司はむしろ失敗後からの仕事に期待するしね。

もちろん部下の失敗のカバーは大変だけど、

上司自身も多かれ少なかれ

そういうことを体験し

経験にしているものだしね。

 

上司に怒られることを

悪い方向に捉え過ぎずに、

配達すことが面倒だとならないこと。

 

ここまで行くとフォローもできないよ。

だって仕事を舐めすぎている。

 

ベテランは自分のできる量を知っているから、

多少のハードワークはできるからやることもある。

けれど、よくやるのは、

無理のない確実な物量での配達を行うように、

周囲に強力をお願いすることが多いものだよ。

 

他人の目を気にすることは、

こんな危険性を帯びている

というお話しをしたかっただけです。

 

長くなったね。今日の奇怪はここまでです。

 

またね。