おはつです。今日の娘への発信はね?

お初です。

 

別に、今は役者になりたいと思っていませんよ。

役者になりたいと思っていたのは昔のお話し、若い10代の頃の話ですから。

 

そのお話については、また次の奇怪にでも語りますね☆彡



娘へ

 

今日のお話しは、単にハイヤーに3度包まれましたというお話しです。

 

変なおじさんだと思ってもいいけれど、

 

・自分をしっかり持っているならば、人を頼りなさいということ

(パパのハイヤーの一言)

・自分をしっかり持っていなくても、人を頼りにしてもいいということ

(パパの独り言)

 

の2つだけは引き出しに加えてください。

 

では始めますね・・・




2022年5月31日火曜日、午後3時過ぎ、

私は配達する荷物を車に積み込んでいた。

 

その時、

「えっ!またか?!」

「この苦しみは、・・・」

 

息が苦しい・・・この苦しみは体験した人にしか絶対にわかりません。

そして今では特に、運よく助かった私ですから、すごく怖いんです。

「死ぬ」と感じるから。

 

「お願いだから死にたくない、ハイヤー導いて」

恥ずかしい話だけど、神頼みならぬハイヤー頼みだ。。。

苦しみ→死→ハイヤー頼み・・時間にして数秒だ。

 

立っているのが辛い動けない状態から激しい痛みのあとで

瞬時に胸から脳へ上る痛み、詰まっていたものが脳へ流れるような感覚、

それがずっと痛みを伴っている。

 

脳梗塞なの?今度は?

 

ハイヤーの登場だ。

はっきりと私をつつみ込むように現れるハイヤーは、これで3度目だ。

 

(定期的に情報を私の前に知らせてくれる形でのハイヤーとの交流は、

初めての遭遇からもう2年が過ぎているので、数十回だろうか?)

 

1度目は2020年の5月、心筋症から心筋梗塞になっての手術中だったか、

術後のベッドの上なのか正直いまでもわからない。

物凄い白い光の中に包まれ、暖かさの中で目が覚めた時のことだ。

 

言葉はない。というかわからない。理解できない。

ただ、感覚でその時にハイヤー伝えてきたことは、

「このままでいいのか?」と問われたのです。

 

2度目は、それから5日後くらいに、

パパが今後どうしたらよいのかわからないときに、

私をまた包み込むという体験で姿を見せてくれた。

その時は言葉でなく、パパに、過去の体験を思い出させる、

気づかせるような感じで、映像を見せてくれた。

 

そして、ほぼ2年ぶりの再開が、3度目。

しかもパパからの助けに応じて現れてくれた。

いつもと変わらない。言葉ではない、何となく感覚で言われている??

どう表現したらいいのか今なおわからない。

 

3度目の会話(やり取り)は

 

「さて、これが最後かな?」から始まった。

「でどうしたい?」

 

に対して、私は、

「まだ生きたい。」これが即答だった。

「恐怖からではなく、またやっていないから、心残りだからだ。」

まだやっていないからじゃない、まだじゃなくて、また、またやっていないから。

 

そう、私は、結局、行動をしていない

 

3度目のハイヤーとのやり取りは、色々だった。

 

・初めて感じた時から今までにやってきたことの話

・私が話すことは、出来なったことばかり

・今後世の中に起こることの話

・精神性の話

・生きること(スピリチュアル)

・私自身が何で行動しないのか?できないのか?諦めるのか?

 

うーん、とにかく私が何か想念すると瞬時に反応が返ってくる

だからやり取りは相当あり、時間は相当かかったはず。

 

でもね、実は苦しくて脳への何かの流れを感じるなどして、

ハイヤーに助けを乞い、彼が現れてから消えるまで、

数分しか経過していないんだよね。

 

時間という概念が狂っているんだよね。

 

その後は、胸の苦しみもほぼなく(神経痛の痛みはあるかな程度)、

仕事を終えることが出来た。

 

さてさて、「これが最後かな」・・・ハイヤーのセリフにあったよね。

正直、嘘だと思いますよ。意地悪な私が出たのかな?

でも肝に銘じないといけないのです。

 

3度目のハイヤーとの語らいの後で、やっていなかったことをやり始めて数日、

変化がありました!!

 

ママにハイヤーの件を伝えました。

3度目の話を正直に伝えれば、病気について不安がるので悩みます。

ですが、話したい私の気持ちを優先して話しました(わがまま)。

 

ママは、病気の件を不安がりましたが、それはひとまず置いておくとして、

ママからは、出来たことを指摘されました。

 

「パパができることをしている、そして娘は満足している。

それって出来ていると同じでしょ。」と。

 

「パパがしてあげたいことやしたいことは、

もっともっと大きなことなのかもしれないけれど、

された側が、不満なく楽しく過ごしているんだから、

出来ていると考えていいのでは。」と言われた。

 

実は、ハイヤーがね、できないことは頼ればいいと教えてくれたんだ。

思考の話からすると、本当はできないことなんてないのだけれど、

肉体的に時間的に制限のある形では、

できないことがあると説明した方が(考えた方が)わかりやすいでしょ。

だから、できないことはできないとして他人に頼りなさい。

しっかりと自分を持っているならば、その結果は大丈夫だから。

依存ではないからね。

と・・・

 

そして次のようなこともハイヤーは言いました。

 

「私はこう思うんだよね。」と伝えるだけ、

相手に対しては「あなたはそう思うんだね。」と

キャッチボールをするだけらしい。

 

しっかりと自分の考えがあれば、それだけでいいらしい。

そして素直に他人に頼ってもいいんだって。

わかりにくいね。

 

パパが腑に落ちたハイヤーからの表現は、あてにしちゃダメだよということでした。

これで、なんとなく自分がある場合と、

そうじゃない依存している場合の違いが分かったかな?

 

でね、人って成長するのにどうしても過程が必要だよね。

ゴールを設定したらすぐに実現するわけじゃないからね。

思考の話をもう聞いているあなたたちは、

???と矛盾を感じたかもしれないけれど、

ひとまずそれは横においてくださいな。

 

自分がしっかりして、定まっていなくても、私はこういう考え方をしますと

答えることが出来ない時でも(段階でも)、自分一人でどうにもできないときは、

人に頼りなさい。

必ず人は助けてくれます。

もし、助けてくれない時や助けてくれた人が助けてくれなくなった時は、

チョットだけ頼りすぎてばかりで自分は何もしていないのかなと考えてね。

きっと上手くいきますよ。

あなたのハイヤーが導いてくれるからね。それは間違いないと言えちゃいます。

 

今日はとっても抽象的な分かりにくい話です。

 

でもこのような変な体験(笑)があるからこそ始めたのがこのブログなど、

今の私のお話なので、今日のところは抽象的な話もご勘弁。

 

実のところ、ハイヤーとの体験を話すとみんな抽象的になりやすいので、

具体的な話になるように努力いたしますとしか言えませんが。

 

それではまた次の奇怪にね。 

 

パパより

 

追伸・・・

ハイヤーとはハイヤーセルフのことで、

決してタクシーならぬハイヤーのことではありませんのでご注意ください。

またこういうことを言うから、昭和だとか、

おじさんだとか言われんだろうな(;^_^A