三日坊主の多趣味の何が悪いの?

今日の奇妙な話しは、

 

1、50過ぎのおじさんが始めたこと(趣味)の話し

2、すぐに飽きて長続きしないおじさんの今思うこと

3、結論全部やり尽くせ!!

 

では、また娘に残す形にしてのお届けです。

 

1.50過ぎのおじさんが始めたこと

 (理由つき)

 

心理学の勉強

...心理学を専攻できなかったから。

 学舎で学んだのは、法律学でした。

 

ピアノ

…6月11日にピアノがやっときた。

始めたばかりだ。ドラマの影響です。

コウノトリのベイビーの曲が弾きたいから。

 

行政書士の資格

…簡単なところから、条文をよみたいから、思考トレーニング、ボケ防止。

 

病気のこと

狭心症からの心筋梗塞体験済。症状とかの注意くらいは語りたいから。

奇怪な体験をし、ここから、心の塊が溶け出す。

 

勉強の仕方についてのお話

寺子屋式に伝えていたのを、ネットを活用し始める。

アナログからデジタル化。勉強が苦手な子をみると、勉強の仕方を知らないか、

習慣化できていないだけの場合が多いのでより多くの人にそのことを伝えたいから。

 

音声配信、動画配信

…興味本位。どんな世界かを知りたいから。

 

コーヒーを自分で挽いて淹れる

…高校生の頃に感じた、嗅覚からの幸せをじっくりゆったり味わいたいから。

 

小説を書く

…こどもの頃の妄想の世界を文章化したいから。

 

武術武道を始める

…空手、弓道は体験済。合気道かシラットを体験したい。興味本位。

 

中学の勉強を復習(再確認)

…娘が高校受験のため、勉強に対して語る上で、再確認くらいはすべきかなと感じて。



2、すぐに飽きて長続きしないおじさんの今思うこと

 

まぁ、私は三日坊主の代表者かな。

このことが、ずっと自己嫌悪を増強してきたのかなと感じている。

なんでも始めたら最後まで頑張って続けることが、すべてです。

それが教えられたことだったからね。

だから、興味を持つこともやめたくなる。

どうせ続かないから。やってはいけない。

続かない自分はダメな奴となる。段々と浸食されていく。

人と違うことをすること自体が悪みたいな偏見と同じかな。



3、結論全部やり尽くせ!!

 

三日坊主!それ最高なんだよね。実は。

ここからは、落ちこぼれおじさんの打ち消された、聞いてもらえなかった屁理屈だ。

 

どうしてすぐ飽きるのか?この質問に対して、質問で返すね?

「どうして飽きずに続けることができるの?最後までできるの?」と。

その答えは、一度やり始めたら最後まで諦めずに続けるものだ。

それができないのはダメな奴。という回答。

これが私がよく言われた返事だね。これには正直、素直に頷けない。

 

興味が薄れたものは、一度手放していいんじゃないかな。

「ある程度理解して満足したなら、新しいやりたいことを始めていいはずだ。」

たくさんこういうものかと知ることができて、

ある程度上達してから満足してしまう。続けることを諦める、やめる。

そして新しくまた別の事に取り組んで楽しみを増やす。

これのどこがいけない事なのかな?

 

一つのことを極めるために続けること、そのことは確かに良いことだろう。

けれど、その事だけで、三日坊主の多趣味を否定することはできない。

なのに、始めたからには何事も最後までやり遂げないといけないと

結論づけするのは、横暴で傲慢な気がします。

 

私は、これがやりたい。次はこれがやりたい。次は、...

と自分がワクワクする楽しい体験を多くすることが幸せだ。

そう思うなら、迷わず三日坊主の多趣味になろうよ。

 

私はこういう考えを持っていて、しっかり行動して、

人生を豊かにしていますと語ろうよ、伝えようよ。

 

そうやって自己表現してさ、沢山の個性があることを認め、尊重していこう。

これから始まる娘たちの社会は、それが容易にできるからね。

 

今日の奇怪な話はこのへんで。またね。






他人の目が気になることは他人の人生を生きること

今日の奇妙な話は、

 

1どうして働くのか?

2他人の目が気になる

 

についてです。



娘へ

 

1.どうして人は働くのだろう?

 

これに対する答えを

明確に言えないのがパパです(/ω\)

 

というのも、ピラミッド形式の社会で

しかも階級が底辺に位置しているから、

正しいと思われる答えを持ち合わせていないから。

(他人の目、他人と同じ基準かな)

 

パパは小学生高学年で人と同じことをし、

形式的にでも何でも同じように行動し、

目指し、育むという生き方は嫌いだった。

 

自ずと、将来、同じ時間に満員電車に乗って

会社へいく生活をすることを

想像すると吐き気に襲われた。

 

公務員、それこそ高卒資格で公務員に

なることが最底辺の基準なんて、

まったく理解できなかった。

 

安心、安定のために勉強し大学に行く、

その大切さを両親や親戚、先生等、

周囲の大人に言われて、

何を言っているのかを理解できても、

心はその答えに納得し得ない。

 

何故、好きな時に好きなように働いて、

自分自身が納得できる生活水準で収入を得て

生きていく生活は誰も認めないのかわからなかった。

 

将来はマイホーム購入、

車購入、年に数回の旅行、

出来ればそれぞれに湯水のように

使うことが出来る高収入であること。

 

だから、人から注目されて、

見ている人の反応が

ダイレクトに返ってくる舞台役者になりたくて、

役者として多く稼いでやる。

そう考えたんだよね。

 

むろん、安定思考から全てを反対されて、

結局逆らうことが出来ず、周囲と同じになりました。

同じならまだいい。

努力しない人間は周囲と同化したら落ちぶれてしまう。

 

だって、他人との違いを生み出すには、

没個性を前提とした安心安定の世界では、

非常に厳しい。

 

まず学力勝負、

所属した世界での競争に勝つ、

さらに新しい環境になればまたすぐ勝負。

 

全てが競争社会。

疲れるのが殆どだと思う。

 

パパのように考えている子どもなんて、

埋没しちゃうんだ。

上手に立ち回ることはできるようになるけれど、

勝ち取った舞台は、

常に無観客か10名以下の観客の

前に立つ役者になれるだけ。

 

それでも、その役者を演じ切れば、

何とか生活をしていくことはできる。

 

働くことの意味を答えることができる人の中で

さらに少数の人は、競争に勝っているでしょう。

 

競争に勝っている、

勝ち抜くために毎日を

生き馬の目を抜くように生きれる人は、

きっと、どうして働くのかなんて考えない人、

そのことを見つめない人なんだよね。

 

まっすぐに、強かに

競争社会を邁進しているんだよね。

 

だからね、どうして働くのかについては

パパは語れないな。

 

どうしても聞きたいのなら、

ディズニーシーに行くといいよ。

ウミガメのクラッシュなら

面白くステキな答えを

話してくれるかもしれないからね。



2.他人の目が気なる

 

お姉ちゃんは、

どうしても他人の目が気になるとのこと。

人からどう思われているかを気にします。

 

その程度は重症ではないですが、

明らかに、他人の目を気にするので

どうしても思い切ってできない。

近くに知人がいると出来ない。

外食の際には、周囲に人がいると

気になって、落ち着いて食事ができない。

 

若い頃って、思春期の頃などは特に、

他人の目を気にすることが多い。

 

友だちとつるむことが嫌いだったパパも、

他人の目が気にならないわけじゃない。

けれど、自分は自分だと考えて動くことをし始めたら、

本当につるまなくても、

当たり前に生きることが出来るようになった。

 

他人の目を気にすると

他人の意見にしたがって

生きていくように感じはしないかな。

 

パパはどうしてもそう感じた。

だからどうして他人の人生を生きるんだ???

と疑問に思う。

 

他人の目が気になるのもわかる。

けれど他人の目を気にして、

他人にどう思われて入れば、

嫌われずに、嫌がられずに、

間違いを指摘されずに、

仲間外れにされずに

生きていくことができると考えることは、

他人の人生を生きていることだと

思わないのだろうか。

 

他人が書いたシナリオに基づいて

生きる必要なんてない。

 

嫌われる勇気を少し持ち出そうよ。

そのうちに、自分と同類の人が

引き寄せられてくるからさ。

 

もちろん、その人たちとのコミュニケーションを

どのようにとるのかは、自分次第。

 

他人に合わせすぎるコミュニケーションは

他人の人生を歩くに等しいけれど、

他人に合わせることもあるけれど、

自分にこだわって表現していきながらする

他人とのコミュニケーションを覚えようね。

 

難しいことはさほどない。

動いて、ぶつかって、どうしてと考えて、

動いての繰り返しで生きていくものだから。

 

その方が絶対自分のシナリオになっている人生だよ。

 

3.パパの仕事でよくある大変な問題

 

少しパパの仕事についてお話しをしてみよう。

 

パパの仕事は、

お客様の荷物を運ぶ、届ける仕事だ。

運送業だね。

流通に携わっているので、

みんなの生活を支えているという

教科書的な答えを大切にしている。

 

間違えずに、正確にお客様のところに

届けることが絶対の仕事だ。

 

作業は実に簡単で、

出来て当たり前の仕事だから、

簡単そうでいて実は難しい仕事。

流通させることを止めてはいけないからね。

 

人々の生活の土台をしっかりと支える仕事

をしていると自負している。

 

そう考えて仕事をしないといけないし、

やっていられないと考えることもできるかな。

 

もし、品物を届けることができないとしたら

どんなケースがあるかな?

 

・納期が間に合わない。

 

 これには、様々な要因があるけどね、

 うーん商品自体の生産が遅れている。

 注文が多く、流通ラインに乗せることができない。

 交通渋滞、交通事故、

 ドライバーの体調不良もあるね(笑)。

 

・誤配達。

 

・ワザと届けないもある。

 

 あってはならないことであり

 犯罪とも言えるけれど。

 

 忙しすぎて配達しきれない状況が

 この事態を作ってしまうことがある。

  

 どうして届けないのか、配達しないのか。

 個人の判断で隠匿してしまう。

 捨ててしまう。

 

 実はここのところに人の目が気になるということが

 多く関わっていることがある。

 

どんな職場でも陰口は叩かれる。

仕事ができないとね。

 

この程度しかできないのに。

とこれくらい出来なかったら

居場所ないだろなんて言われる。

 

でね、年齢が若ければ若いほど、

配達ができないこと、

仕事ができないことを人に言えない。

 

殆どの人が恥ずかしいらしい。

経験値も高くなったベテランが言うには

恥ずかしいかもしれないけど、

若い人は言っても恥ずかしいことではない。

言わないことが格好悪いし、

仕事の流れが止まり、みんなに迷惑がかかる、

お客様は被害者だ。

見栄っ張りのようなプライドは

小さいから捨てようよ。

これが他人の目を気にして生きてきた人にはほぼ出来ない、

もしくは、届けることが出来ない、

仕事ができない人になってしまう可能性が高い。

自分を良く見せる必要なんてないし、

期日通りに荷物をお客様の手元に届けるのが

仕事である以上、それは要らないよ。

 

届けることが出来なかった荷物があれば伝えよう。

そして小言を言われよう、叱られよう。

 

それだけだ。

あとは上司が適切に処理するものだから。

 

周囲でフォローして残ったものを配達はするよ。

怒られない自分をとらずに、

怒られる自分を選択しよう。

他人の目を気にしないようにして、

しかもいい意味で他人の目を利用しよう。

 

能力が低いことを知られるのは

一時のマイナスで、

その後の成長で必ず大きく取り戻せるものです。

 

上司はむしろ失敗後からの仕事に期待するしね。

もちろん部下の失敗のカバーは大変だけど、

上司自身も多かれ少なかれ

そういうことを体験し

経験にしているものだしね。

 

上司に怒られることを

悪い方向に捉え過ぎずに、

配達すことが面倒だとならないこと。

 

ここまで行くとフォローもできないよ。

だって仕事を舐めすぎている。

 

ベテランは自分のできる量を知っているから、

多少のハードワークはできるからやることもある。

けれど、よくやるのは、

無理のない確実な物量での配達を行うように、

周囲に強力をお願いすることが多いものだよ。

 

他人の目を気にすることは、

こんな危険性を帯びている

というお話しをしたかっただけです。

 

長くなったね。今日の奇怪はここまでです。

 

またね。





おはつです。今日の娘への発信はね?

お初です。

 

別に、今は役者になりたいと思っていませんよ。

役者になりたいと思っていたのは昔のお話し、若い10代の頃の話ですから。

 

そのお話については、また次の奇怪にでも語りますね☆彡



娘へ

 

今日のお話しは、単にハイヤーに3度包まれましたというお話しです。

 

変なおじさんだと思ってもいいけれど、

 

・自分をしっかり持っているならば、人を頼りなさいということ

(パパのハイヤーの一言)

・自分をしっかり持っていなくても、人を頼りにしてもいいということ

(パパの独り言)

 

の2つだけは引き出しに加えてください。

 

では始めますね・・・




2022年5月31日火曜日、午後3時過ぎ、

私は配達する荷物を車に積み込んでいた。

 

その時、

「えっ!またか?!」

「この苦しみは、・・・」

 

息が苦しい・・・この苦しみは体験した人にしか絶対にわかりません。

そして今では特に、運よく助かった私ですから、すごく怖いんです。

「死ぬ」と感じるから。

 

「お願いだから死にたくない、ハイヤー導いて」

恥ずかしい話だけど、神頼みならぬハイヤー頼みだ。。。

苦しみ→死→ハイヤー頼み・・時間にして数秒だ。

 

立っているのが辛い動けない状態から激しい痛みのあとで

瞬時に胸から脳へ上る痛み、詰まっていたものが脳へ流れるような感覚、

それがずっと痛みを伴っている。

 

脳梗塞なの?今度は?

 

ハイヤーの登場だ。

はっきりと私をつつみ込むように現れるハイヤーは、これで3度目だ。

 

(定期的に情報を私の前に知らせてくれる形でのハイヤーとの交流は、

初めての遭遇からもう2年が過ぎているので、数十回だろうか?)

 

1度目は2020年の5月、心筋症から心筋梗塞になっての手術中だったか、

術後のベッドの上なのか正直いまでもわからない。

物凄い白い光の中に包まれ、暖かさの中で目が覚めた時のことだ。

 

言葉はない。というかわからない。理解できない。

ただ、感覚でその時にハイヤー伝えてきたことは、

「このままでいいのか?」と問われたのです。

 

2度目は、それから5日後くらいに、

パパが今後どうしたらよいのかわからないときに、

私をまた包み込むという体験で姿を見せてくれた。

その時は言葉でなく、パパに、過去の体験を思い出させる、

気づかせるような感じで、映像を見せてくれた。

 

そして、ほぼ2年ぶりの再開が、3度目。

しかもパパからの助けに応じて現れてくれた。

いつもと変わらない。言葉ではない、何となく感覚で言われている??

どう表現したらいいのか今なおわからない。

 

3度目の会話(やり取り)は

 

「さて、これが最後かな?」から始まった。

「でどうしたい?」

 

に対して、私は、

「まだ生きたい。」これが即答だった。

「恐怖からではなく、またやっていないから、心残りだからだ。」

まだやっていないからじゃない、まだじゃなくて、また、またやっていないから。

 

そう、私は、結局、行動をしていない

 

3度目のハイヤーとのやり取りは、色々だった。

 

・初めて感じた時から今までにやってきたことの話

・私が話すことは、出来なったことばかり

・今後世の中に起こることの話

・精神性の話

・生きること(スピリチュアル)

・私自身が何で行動しないのか?できないのか?諦めるのか?

 

うーん、とにかく私が何か想念すると瞬時に反応が返ってくる

だからやり取りは相当あり、時間は相当かかったはず。

 

でもね、実は苦しくて脳への何かの流れを感じるなどして、

ハイヤーに助けを乞い、彼が現れてから消えるまで、

数分しか経過していないんだよね。

 

時間という概念が狂っているんだよね。

 

その後は、胸の苦しみもほぼなく(神経痛の痛みはあるかな程度)、

仕事を終えることが出来た。

 

さてさて、「これが最後かな」・・・ハイヤーのセリフにあったよね。

正直、嘘だと思いますよ。意地悪な私が出たのかな?

でも肝に銘じないといけないのです。

 

3度目のハイヤーとの語らいの後で、やっていなかったことをやり始めて数日、

変化がありました!!

 

ママにハイヤーの件を伝えました。

3度目の話を正直に伝えれば、病気について不安がるので悩みます。

ですが、話したい私の気持ちを優先して話しました(わがまま)。

 

ママは、病気の件を不安がりましたが、それはひとまず置いておくとして、

ママからは、出来たことを指摘されました。

 

「パパができることをしている、そして娘は満足している。

それって出来ていると同じでしょ。」と。

 

「パパがしてあげたいことやしたいことは、

もっともっと大きなことなのかもしれないけれど、

された側が、不満なく楽しく過ごしているんだから、

出来ていると考えていいのでは。」と言われた。

 

実は、ハイヤーがね、できないことは頼ればいいと教えてくれたんだ。

思考の話からすると、本当はできないことなんてないのだけれど、

肉体的に時間的に制限のある形では、

できないことがあると説明した方が(考えた方が)わかりやすいでしょ。

だから、できないことはできないとして他人に頼りなさい。

しっかりと自分を持っているならば、その結果は大丈夫だから。

依存ではないからね。

と・・・

 

そして次のようなこともハイヤーは言いました。

 

「私はこう思うんだよね。」と伝えるだけ、

相手に対しては「あなたはそう思うんだね。」と

キャッチボールをするだけらしい。

 

しっかりと自分の考えがあれば、それだけでいいらしい。

そして素直に他人に頼ってもいいんだって。

わかりにくいね。

 

パパが腑に落ちたハイヤーからの表現は、あてにしちゃダメだよということでした。

これで、なんとなく自分がある場合と、

そうじゃない依存している場合の違いが分かったかな?

 

でね、人って成長するのにどうしても過程が必要だよね。

ゴールを設定したらすぐに実現するわけじゃないからね。

思考の話をもう聞いているあなたたちは、

???と矛盾を感じたかもしれないけれど、

ひとまずそれは横においてくださいな。

 

自分がしっかりして、定まっていなくても、私はこういう考え方をしますと

答えることが出来ない時でも(段階でも)、自分一人でどうにもできないときは、

人に頼りなさい。

必ず人は助けてくれます。

もし、助けてくれない時や助けてくれた人が助けてくれなくなった時は、

チョットだけ頼りすぎてばかりで自分は何もしていないのかなと考えてね。

きっと上手くいきますよ。

あなたのハイヤーが導いてくれるからね。それは間違いないと言えちゃいます。

 

今日はとっても抽象的な分かりにくい話です。

 

でもこのような変な体験(笑)があるからこそ始めたのがこのブログなど、

今の私のお話なので、今日のところは抽象的な話もご勘弁。

 

実のところ、ハイヤーとの体験を話すとみんな抽象的になりやすいので、

具体的な話になるように努力いたしますとしか言えませんが。

 

それではまた次の奇怪にね。 

 

パパより

 

追伸・・・

ハイヤーとはハイヤーセルフのことで、

決してタクシーならぬハイヤーのことではありませんのでご注意ください。

またこういうことを言うから、昭和だとか、

おじさんだとか言われんだろうな(;^_^A